Robert Schumann (ロベルト・シューマン) ※2010年3月作成

1. 年譜
2. デュッセルドルフでのシューマン
3. デュッセルドルフで仕上げた作品
4. シューマンゆかりの地を訪ねて
5. シューマンフェスト・デュッセルドルフ
6.シューマン展示会


1) 年譜

1810年6月8日 ツヴィッカウ(Zwickau)で生まれる
1817年 初めてピアノレッスンを受ける
1827年 文学と音楽に才能を発揮、歌を作曲する
1828年 ライプツィヒ(Leipzig)の大学で法学を学び始めるヴィーク氏(F. Wieck /Claraの父)にピアノレッスンを受ける
1829年 法学を学ぶ為、ハイデルベルク(Heidelberg)大学へ
1830年 音楽家になることを決意/ライプツィヒに戻り、ヴィーク氏にレッスンを受ける
1834年 音楽雑誌(Neue Zeitschrift für Musik)創刊
1837年 クララと婚約(父、ヴィーク氏は結婚に反対、のちに裁判となる)
1840年9月12日 クララと結婚
1843年 ライプツィヒ音楽学校の教師を務める
1844年 ドレスデン(Dresden)に引越す
1850年  デュッセルドルフの音楽監督に就任
1853年 デュッセルドルフの音楽監督の座を退く
1854年2月27日 ライン川で自殺未遂
1854年3月4日 Endenich(Bonn郊外)の病院に入院
1856年7月29日 逝去


「私は、ライン川で溺れた夢を見た」・・・1829年のシューマンの日記に書かれていました。まさかこの25年後、そのような悪夢が起こるなどと、誰が思ったでしょう・・・

ロベルト・シューマンは、作家でもあり出版業を営む父、アウグスト(August)・シューマンと母、クリスチアーネのもとに5人兄弟の末っ子として、ツヴィッカウで生まれました。7歳で初めてのピアノのレッスンを受け、学校でも特に音楽と文学に才能を発揮していました。しかし、シューマンが16歳の時、父親が亡くなり、母親の勧めで1828年からライプツィヒの大学で法学を学び始めました。そして、フリードリッヒ・ヴィーク氏(後に妻となるクララの父)にピアノを師事しますが、1829年にはハイデルベルクの大学に移りました。

1830年、シューマンに人生の転機が訪れます。フランクフルトでパガニーニのコンサートを聞き、内に秘めていた音楽への思いを実現するため、音楽家になる決意をし、ハイデルベルクからライプツィヒに戻り、再びヴィーク氏にピアノのレッスンを受け始めます。しかし、1832年、左手の指の麻痺により、ピアニストになる夢は断念せざるを得なくなりました。そして、本格的に作曲を始めました。また、1834年には音楽雑誌『音楽新報(Neue Zeitschrift für Musik)』を創刊し、その雑誌の中で、シューマンは音楽評論を書いています。

1840年、当時小さい頃から天才ピアニストとして有名だったクララと結婚、クララは子育てをしながらピアニストとしての仕事も続け、夫シューマンの作品も次々と紹介していきました。一方でシューマンは、ライプツィヒの音楽学校で教鞭をとるなどしましたが、なかなか定職には就けないでいました。

そこにヒラー(Hiller)から、デュッセルドルフの音楽監督就任の依頼がきました。シューマンは故郷のザクセンでの職を望んでいましたが、デュッセルドルフ市の公職である音楽監督は、それなりのステータスのある職であり、定収入を約束するものでもありました。シューマンは、家族と共にデュッセルドルフに引っ越す決心をしました。それは、彼にとって初めての、そして最後の公職でした。


2) デュッセルドルフでのシューマン

在任期間:1850年9月から1853年

住居:Alleestraße 782  (現在のHeinrich-Heine-Allee 44 Trinkausの角)
             1850年9月10日〜1851年6月30日
     Kastanienallee 252,3  (現在のKönigsallee 46 Galarie Paffrath)
              1851年7月1日〜1852年4月15日
     Herzogstraße 15
              1852年4月15日〜8月11日
     Bilkerstraße 1032  (現在のBilkerstraße 15)
              1852年8月〜1854年3月4日 (クララ:1855年8月6日)

1850年9月2日、シューマンは、妻クララと6人の子供たちと共にデュッセルドルフに着きました。ハイデルベルクの学生時代に見ていたライン川の風景、音楽監督としての定職・・・家族は喜びを胸にこの地を踏んだといいます。そして、デュッセルドルフ市もシューマン一家を熱烈に歓迎しました。

シューマンのデュッセルドルフでの生活は、とても規則正しいものでした。午前中12時まで仕事をし、少し散歩。そして13時に昼食をとり、そのあと、ゆったり過ごし、18時まで再び仕事。それから外出し、20時に家に戻って夕食をとる、というように一日のスケジュールは決まっていました。散歩コースとしては、ライン川沿いやベンラート城がお気に入りだったそうです。

しかし、シューマンの苦悩はまもなくやってきます。

まずは住居の問題です。シューマンは、デュッセルドルフ在住3年半の間に4度の引越しを余儀なくされました。初めの住まいは、騒音がひどく落ち着かず、住み心地の悪い家でした。次の家は、売りに出されることになり、引っ越さなければならなくなりました。三番目の家は、隣に住んでいるイギリス人家族の子供が一日中ピアノを弾いていて、たまりませんでした。そして、四番目の家に引っ越しました。

仕事上でも問題は起こりました。彼の作るコンサートプログラムの選曲と彼の指揮に批判が起こりました。また、楽団員はほとんどの人が副業で、酒に酔った状態で演奏したり、シューマンが楽団員に向かって話をしてもおしゃべりをして聞かないことも多く、そんなことからもともと内向的だったシューマンは、余計に自分の殻に閉じこもってしまいました。そして、精神的病は進行していき、1852年頃から仕事を休まなくてはならないことも出てきました。1853年には第31回ライニッシェ・ミュージックフェストの準備に取り掛かりますが、もはやシューマンの居場所はありませんでした。それでも極度の神経症を押して指揮したヘンデルのメサイアは、拍手喝さいを浴びますが、その日以後は代役を頼まざるを得ない状況になってしまいました。

そして遂に、1854年2月27日、町はカーニバルのムードで盛り上がるローゼンモンタークの日、ライン川にかかる橋から身を投じてしまいます。幸い、近くを通りかかった船に助けられ、Bonn郊外にあるEndenichの病院で2年以上過ごし、そのまま生涯を閉じることとなりました。

このような状況にあったシューマンですが、彼の全作品のうち約3分の1は、デュッセルドルフで作曲されました。その中の1曲である有名なライニッシェ・シンフォニー(交響曲第3番、作品97)は、ケルンとデュッセルドルフでの初めの印象と感動から書き上げた作品と言われています。


3) デュッセルドルフで仕上げた作品

【Alleestraße 782にて】
Neujahrslied op.144
Cellokonzert op.129
Rheinische Symphonie op.97
Ouvertuere zu Sillers „Braut von Messina“ op.100
Ouvertuere Shakespeares „Julius Caesar“ op.128
Märchenbilder für Viola und Klavier op.113
Der Rose Pilgerfahrt op.112
Der Königssohn

【Kastanienallee 252,3にて】
Phantasiestücke op.11
Violinsonate Nr.1 op.105
Klaviertrio Nr.3 op.110
Violinsonate Nr.2 op.121
Symphonie Nr.4 op.120, 2 Fassung
Ouvertuere zu Goethes „Hermann und Dorothea“ op.136
Des Saengers Fluch op.139
Missa Sacra op.147

【Herzogstraße 15にて】
Requiem op.148
Gesammelte Schriften
Vom Pagen und Königstochter op.140

【Bilkerstraße 15にて】
Das Glück von Edenhall op.143
Fughetten op.126
Kindersonaten op.118
Arbeit an den Faustszenen
Ouvertuere über das Rheinweinlied op.123
Klavierkonzertsatz op.134
Violinphantasie op.131
Violinkonzert
Märchenerzählungen op.132
FAE-Sonate
Gesänge der Frühe op.133
Romanzen fuer Violencello und Klavier
Dichtergarten
Geistervariationen


4) シューマンゆかりの地を訪ねて

【デュッセルドルフ・シューマン記念館】
ロベルト・シューマンとクララ・シューマンが共に暮らした最後の家が、2003年にロベルト・シューマン記念館としてオープンしました。デュッセルドルフのビルカー通り15番にあるこの建物の正面には、それを示すプレートが張られています。内部には、壁にロベルトとクララが描かれた織物がかけられ、当時のまま修復されたターフェルクラビアと呼ばれるピアノが目を引きます。そして、ロベルトがデュッセルドルフで作曲した作品の表題紙が壁に、ガラスケースには実際に使用していた陶器やロベルトの胸像など、思い出の品が飾られています。
また、当記念館の向かいにあるハインリッヒ・ハイネ研究所には、ロベルトの自筆スコアーやロベルトやクララの手紙、肖像画などが所蔵されています。

※ 記念館は地上階1室のみで、通常は開館しておりません。入館希望の方は、Heinrich-Heine-Institut(Bilkerstraße12-14)にいらしてください。

開館時間:火曜日〜金曜日、及び日曜日11時から17時
     土曜日13時から17時


5) シューマンフェスト・デュッセルドルフ

2010年は、ロベルト・シューマンの生誕200周年に当たり、シューマン縁の地でそれぞれ様々なコンサートが開催されます。デュッセルドルフでも、2010年一年かけて、シューマンの全作品をいずれかの形で演奏されることになっています。

その中でも特にメインとなるのは、シューマンフェストです。デュッセルドルフでは、2年ごとに行われており、今年は5月28日から6月14日まで開催されます。

Info: www.schumannfest-duesseldorf.de

主なコンサート

日時 場所 演目
5月28日(金)20時 Tonhalle Hommage an die Niederrheinischen Musikfest 1818-1958
5月31日(月)20時 Robert-Schumann-Saal  Zimmermann & Pace
6月3日(木)20時 Tonhalle Chung & Seul Philharmonic
6月6日(日)20時 Tonhalle Eschenbach & Barto
6月8日(火)20時 Tonhalle Zum 200.Geburtstag
6月9日(水)20時 Tonhalle Barenboim & Staatskapelle
6月12日(日)20時 Tonhalle Järvi & Jansen

☆ その他、シューマン縁の地、Zwickau、Leipzig、Heidelberg、Dresden、Bonnなどのコンサート情報がまとめて見られるサイトがあります。どうぞ、ご参照ください。
Info: www.schumannjahr2010.de

6) シューマン展示会 ”Ziemlich Lebendig”

日程:2010年5月16日(日)〜8月15日(日)
場所:Heinrich-Heine-Institut
    Bilkerstrasse 12−14


シューマン自筆の楽譜、妻クララの遺品など、Heinrich-Heine-Institut所蔵の品を公開しています。